構内食堂・サロベツ会館・民宿旅館サロベツのいわれ

 昭和二十五年(1950年)七月、高橋榮平(北海道美瑛町生まれ)とその妻、冨美枝(長崎県大村市生まれ旧姓増田)が三十代の頃「構内食堂」として駅待合の食堂を幌延駅前のこの地で開業した。
 当時国鉄全盛の時代で、羽幌線終着駅の幌延は、国鉄職員や家族も多く、また宗谷本線との乗り換え客で終日駅前の人通りが絶えず、食堂も、始発から終列車まで営業し、仕出しや出前、宴会も受け、繁盛していた。
 昭和四十四年十一月、榮平の急逝の後、長男の秀明が母とともに後を継いだ。
 その後、秀明は東京調理師学校を卒業し、あらためて自然や食材に恵まれた故郷で調理や飲食業で生きる決意をする。
 昭和五十三年、宴会・仕出しの充実のため新築し、また「サロベツ会館」と名称を変えた。
 平成九年頃より工事関係者の長期宿泊所としての下宿業に推移して行き、平成十六年の旅館業の許可を機に、長年温めていた旅館建築の計画が現実のものとなり、同年十二月厳寒の中、休館の改築からスタートした。
 平成十七年四月に着工した新築旅館は、七月七日にすべての許可を受けて完成した。建築確認申請はホテル及び旅館であるが、旅館部門の名称を、あえて「民宿旅館サロベツ」とした。
 この地は蒸気機関車の真っ白い煙が上がり、汽笛や力強い車軸の音が昼夜聞こえ、雪印幌延工場への貨車の荷が「トロッコ」や「馬車」「馬そり」で行き来した場所である。
 また問寒別の奥の炭鉱に向かう「軌道」の発着場でもあり、町民はもとより国鉄職員や最盛期には一日平均千人の旅客が騒然と行き来したところである。そして幌延駅・国鉄物資部・構内食堂が栄えた場所である。
おりしも平成十七年(2005年)は幌延駅開駅八十周年の年である。

平成十七年七月
サロベツ会館・民宿旅館サロベツ

いわれパネル